冷蔵庫を開けて、また同じ気持ちになった。
エリンギだ。袋に入ったまま、まだ使っていない。先週のぶんがまだあるのに、新しいのがもう一袋。被ったというより、さばけないうちに次が来た、という感じ。
前回、私は「食材を腐らせる本当の原因は、冷蔵庫じゃなくて入口にあった」と書いた。入ってくる量が、さばける量を超えている。川の上流が太すぎる、と。
原因はわかった。わかったのに、現に冷蔵庫にはさばけないエリンギがいる。
気づいたのに、止まらない。これはなぜなんだろう。今回はその「なぜ」と、自分なりにどう手を打っているか(あるいは、まだ打てていないか)を書いてみる。解決編、と呼ぶにはまだ道半ばだけど。
注文した自分は、もういない
うちはコープ(生協)の宅配を使っている。注文しているのは妻で、配達は週に1回、火曜日に届く。
ここで初めて気づいたことがある。注文してから実際に届くまで、それなりに間が空く。火曜に届いて、その翌日が次の注文の締め切り、そして、注文してから手元に来るまで、6日間以上は空いている。
つまりこういうことだ。
エリンギを「いいな、使おう」と思って注文ボタンを押した自分と、それが実際に届いて冷蔵庫に入れる自分は、もう同じ自分じゃない。1週間ぐらいのズレがある。その間に、注文した内容は覚えていないので、別の日にスーパーできのこを買っているかもしれない。その週の献立が変わっているかもしれない。
前回の記事で「注文したときの自分と、受け取るときの自分のズレ」と書いた。あのときは漠然とした言い方だったけれど、今回はっきりした。そのズレは、たぶん1週間ぶんある。
しかもうちの場合、注文する人(妻)と、冷蔵庫の中身を一番見ている時間が長い人が、いつも一致しているわけじゃない。発注の自分と、消費の現場に立つ自分。この二人の連絡が、うまくいっていない。
入りすぎの正体は、悪意でも怠慢でもなくて、この時間と人のズレなんだと思う。
入口は、ひとつじゃなかった
もうひとつ、自分でやらかすパターンがある。きゅうりだ。
きゅうりが切れると、私はスーパーで買う。「ないと困るから」と。ところが、その数日後にコープからもきゅうりが届く。妻が注文していたのだ。
これ、コープを「待てなかった」結果なんだと思う。1週間以上のタイムラグがあるから、その間に切らすと、つい店で買い足してしまう。そして計画のぶんが後から来て、重なる。
つまり、うちの冷蔵庫には入口が2つある。コープという「計画の入口」と、スーパーという「衝動・補充の入口」。この2つが、まったく同期していない。お互いが何を入れようとしているか、知らない。
二重買いって、うっかりミスみたいに見えて、じつは構造の問題だった。入口が2つあって連絡を取っていなければ、いつか必ずぶつかる。
きゅうりは、油断して放っておくと、あっという間に使えないほど傷む。2本あれば、片方は確実に間に合わなくなる。
「使う予定」のない食材は、たいてい無駄になる
入りすぎとは少し違うけれど、根っこは同じだと思うものがある。用途を決めずに買った食材だ。
シソがそう。スーパーでなんとなく買う。「あると便利そう」と思って。でも、便利そうな食材ほど、具体的な出番が決まっていない。気づくと、端から黒くなって、結局使い切らずに無駄にする。
前回までのシリーズで一度書いたフレーズを、もう一度持ち出したい。
いつ使うか決まっている食材は、ロスしない。
うちのウインナーは、私の弁当の定番だから、買えば必ず減る。逆に、シソは「いつ・何に使う」が空白のまま冷蔵庫に入る。だから残る。
そして、生クリーム。
これはもう、わが家の名物みたいになっている。デザートを作ろうと思って買うのだけれど、デザート作りが生活の動線にない。開封すらせずに期限が切れる、というのを何度もやった。
このあいだも、ホイップバターを作ろうと思って結局作らなかった。少しだけバナナジュースに加えてみたけれど、思ったほどおいしさを感じられなくて、残りをどうしようか、今まさに思案中だ。この原稿を書いている今も、冷蔵庫に少し残っている。
「作りたい気持ちだけが、冷蔵庫の中で熟成していく」――前に書いたこの言葉、まだ更新できていない。解決編なのに、ここだけは現在進行形のまま、正直に書いておく。
だから、出口にも網を張ることにした
ここまで入口の話をしてきた。注文のズレ、二重の入口、用途のない買い物。どれも「入ってくる側」をどうにかしようという話だ。
でも、入口を完璧にコントロールするのは、たぶん無理だ。妻が注文し、私がスーパーに行き、子どもたちの食べる量も日によって違う。入口を一個ずつ正しく締めるのは、現実には続かない。
だから私は、出口にも網を張ることにした。
具体的には、ふたつ。
ひとつは、悪くなりそうな野菜を、味噌汁に回す。葉物でも、根菜でも、「これ、そろそろ危ないな」と思ったら、考えずに味噌汁に入れる。味噌汁は、たいていの野菜を受け止めてくれる、いちばん優秀な出口だ。
もうひとつは、材料があるうちに、こまめにサラダを作る。まとめてではなく、ちょっと余りそうなものが見えたら、その都度。きゅうりも、間に合いそうなうちにサラダにしてしまえば、傷む前に消えてくれる。
これは「ちゃんとした献立」ではない。余りを拾うための、出口の習慣だ。完璧な仕組みじゃないし、毎回できているわけでもない。でも、入口で防ぎきれなかったぶんを、ここでいくらか拾える。
このブログの両輪は、入口と出口だった
書きながら、自分の中でひとつ整理がついた。
食品ロスを減らすには、入口と出口、両方に手を打つしかない。
入口は、「何が、いつ、どれだけ入ってくるか」を見えるようにすること。注文した自分と受け取る自分のズレ、2つの入口の二重買い――これは、冷蔵庫の中身がちゃんと見えていれば、かなり防げるはずだ。じつは私は、まさにそのための食材管理アプリを自分で作っている。注文する前に、いま家に何があるかがスマホで見えれば、「あ、きゅうりまだあった」と気づける。入口のズレを埋める道具、という位置づけだ。
出口は、入ってきてしまったものを、傷む前にさばく工夫。味噌汁、サラダ、そしてこれから書いていきたい「あまりもので作る一品」。料理の工夫が、こっちの輪になる。
入口(見える化)と、出口(料理の工夫)。この2つが、たぶんキッチンKomichiの両輪だ。どちらか片方だけでは、たぶん回らない。
次回からは、出口のほうの話を始めようと思う。余った食材で、実際に何が作れるか。生クリームの行き先も、そろそろ本気で考えないといけない。
腐らせたんじゃない。入口と出口の、両方の網がまだ粗かっただけ。まずは、その網を少しずつ細かくしていく。ここから始める。