二重買いしたきゅうりが、気づけば数本たまっている。コープとスーパーで、うっかり同じものを買ってしまうやつだ。まだ元気そうだけど、放っておけば時間の問題。まな板の前で、僕はつぶやく。
「まあ、サラダだな」
前回、味噌汁の話を書いた。傷みかけた野菜を、やばい順で鍋に放り込む「最強の出口」の話だ。あれが出口だとすれば、サラダはその一歩手前にある、もうひとつの出口だと思う。味噌汁が最後の砦なら、サラダはその前線。まだ生でいけるうちに拾っておく場所だ。
今日は、この「浅い出口」の話を書きたい。書いているうちに、サラダと味噌汁は思っていたような関係じゃなかった、ということにも気づいたので、それも含めて。
なお前回と同じで、これは僕が台所に立つ日の話。妻が作る日はまた別だ。僕が作るのは、妻が忙しいときや早く帰れた日、土日くらい。その当番の日に、冷蔵庫の野菜を眺めて考えている。
サラダは、いちばん浅い出口
先に正直に書いておくと、僕のサラダはまったく凝っていない。
よく回すのは、レタス、きゅうり、トマト、キャベツの千切り、水菜。だいたいこの顔ぶれだ。ドレッシングも特別なものは使わないし、凝った盛り付けもしない。あるものを、早く使ったほうがよさそうな順に、切って皿に載せるだけ。世の中には美しいサラダのレシピがいくらでもあるけれど、僕のはそういうものじゃない。
前回の味噌汁と、やっていることは同じだ。冷蔵庫を見て、やばい順に拾う。ただ、サラダのほうが先に来る。まだ野菜が元気なうちに、生のまま食べきってしまう。だからサラダは、うちの出口の中でいちばん浅い場所にある。傷む前に、早めに手を打つための出口だ。
レパートリーがないことを、以前は少し引け目に感じていた。でも食材ロスという目で見ると、「あるもので回すだけ」というのは、むしろ続けやすさそのものだったりする。凝ろうとすると、作らない日が増える。切って載せるだけなら、当番の日に必ずできる。
味噌汁とサラダは「拾える鮮度の幅」が違う
サラダを作っていて、味噌汁とはっきり違うな、と思うことがある。拾える鮮度の幅だ。
味噌汁は加熱する。だから、少ししんなりした野菜でも、火を通してしまえば気にならないし、むしろ美味しく食べられる。拾える幅が広い。
サラダは生で食べる。シャキッとしていないと、正直あまり美味しくない。しなびたレタスやふにゃっとしたきゅうりは、生だと存在感がそのまま出てしまう。だから、美味しく拾える幅が狭い。同じ野菜でも、鮮度が落ちきる前の、まだ早い段階でサラダに回すことになる。
ここは誤解のないように書いておきたいのだけど、これは「危ないから食べない」という話ではない。捨てるのは、生だろうが火を通そうが、本当に食べられない部分だけだ。ぬめりや異臭が出た部分、どうやってもダメなところは、サラダだろうと味噌汁だろうと関係なく捨てる。その一線は、出口が何であっても動かない。
違うのは、捨てる基準じゃなくて、美味しく食べられる範囲のほうだ。味噌汁は加熱でごまかしが効くぶん、少し鮮度が落ちても拾える。サラダはごまかしが効かないぶん、早めに動く必要がある。だからサラダは、浅い出口なのだ。
そもそも、サラダと味噌汁は担当が違った
書きながら気づいたことがある。僕はずっと、こう思っていた。「サラダで拾えなかった野菜が、次に味噌汁へ回る」。浅い出口から深い出口への、きれいなリレーだと。
でも実際の冷蔵庫を見ると、そんなにきれいには繋がっていない。そもそも、サラダと味噌汁でかぶる野菜が、あまり多くないのだ。
サラダの常連は、レタス、トマト、きゅうり。これらは基本、味噌汁には入れない。一方、味噌汁の常連は、きのこ、大根、さつまいも、かぼちゃ、里芋。こっちはサラダにはしない。両方に登場しうるのは、せいぜい玉ねぎ、じゃがいも、大根、キャベツくらいだ。
しかもその数少ない共通枠も、リレーにはなっていない。玉ねぎや大根は、サラダにするならむしろ新鮮じゃないと困る。しんなりした玉ねぎを生でスライスしても美味しくないから、そういうのは最初から味噌汁に回す。つまり「サラダで力尽きたから味噌汁へ」じゃなくて、「これはサラダ向き、これは味噌汁向き」と、最初から担当が分かれている。
これは自分でも意外だった。出口は一本道じゃない。食材によって、使う窓口がそもそも違う。レタスにはレタスの出口があり、大根には大根の出口がある。ひとつの万能な出口があるんじゃなくて、野菜ごとに向いた出口へ振り分けている、というのが実態だった。
出口は、ひとつじゃなくていい
前々回、入口と出口の両輪の話を書いた。入ってくる量を抑える入口と、入ってきたものをさばく出口。その両方に網を張るしかない、と。
あのときは「出口」をひとつの塊のように書いていたけれど、こうして味噌汁とサラダを並べてみると、出口というのは実は複数の窓口の集まりなのだと思う。生で早めに拾うサラダ。加熱で最後まで拾う味噌汁。そして野菜ごとに、向いている窓口が違う。
だから、出口はひとつに絞らなくていい。むしろ窓口が複数あるほうが、いろんな野菜を取りこぼさずに済む。サラダしかなければ根菜は拾えないし、味噌汁しかなければレタスは持て余す。両方あって、はじめて冷蔵庫全体をカバーできる。
もっとも、こうやって「これはサラダ、これは味噌汁」と振り分けられるのは、そもそも冷蔵庫の中で何がどれだけ残っているかが見えているからでもある。何が古くて、どれから手をつけるべきか。そこが見えなくなった瞬間、どの出口も機能しなくなる。だから入口で在庫が見えていることは、やっぱりこの出口の話とも繋がっている。
ひとつだけ、宿題が残った。「本当に食べられない部分だけを捨てる」と書いたけれど、その「本当に食べられない」の線引きが、実はいちばん難しい。どこまでがセーフで、どこからがアウトなのか。野菜の劣化のサインについては、また改めて一本書いてみたいと思う。
このブログでは、食材を使い切るための試行錯誤を、うまくいったこともいかなかったことも含めて記録しています。前回の「味噌汁は最強の出口」と合わせて読むと、この浅い出口と深い出口の関係が伝わるかもしれません。